病院からタンカで会場に運ばれた力道山
レッド・スコーピオンの異名を持つトム・ライスを招へいして、昭和31年7月23日より全国サーキットを開始した「プロレス世界選手権挑戦者決定戦」も、そのスケジュールの3分の2を消化していた。
日本プロレス一行は四国、九州の巡業を経て前日より中国地方入りした。下関の興行を終え、8月20日に米子入りしたのであるが、エースの力道山が高熱を出してしまったのである。そして事件は起こった。
この日米子駅に着いた力道山は、なんと放浪の天才画家、山下清氏と国鉄米子駅の駅長室で初対面し、対談を行っている。山下氏はいつもはカスリの着流しにリュックサックを背負い、下駄ばきであるが、この日はグレーのズボンにランニングシャツで現れた。
山下氏は翌21日から鳥取大丸で開催される「山下清作品展」に出席するために米子を訪れていたのである。力道山はこの山下氏の質問にタジタジであったと新聞は報道している。多分この時すでに体調を崩していたのではないか。
米子市営湊山球場では午後5時半よりプロレス興行が始まった。1万人以上が球場に押しかけていた。第1試合の田中米太郎と宮島富雄の一騎打ちは時間切れとなったが、その後は吉原功が大山博を、羅生門綱五郎が金子武雄を、竹村正明が阿部修を、そして豊登道春が芳の里淳三を破ってセミファイナルとなる。
そのセミではヨーロッパヘビー級王者を名乗るラッキー・シモノビッチが駿河海三津夫を寄せ付けず、2−0のストレートで快勝。そしていよいよメインエベントの力道山、東富士対トム・ライス、アイアン・マイクのタッグマッチの3本勝負。
ところがここで場内アナウンスによって力道山が急性肺炎のために欠場することが告げられた。ほとんどの観客は力道山が悪役外国人選手を倒すのを期待して来場しているのである。「リキドウを出せ」と観客がリングサイドに詰めかけビールビンやサイダービンを投げ始めたのだ。
警備は米子署の約10名が当たっていたのであるが、その人数ではどうすることもできず、興行は約1時間中断してしまう。主催者側は驚いて市内の病院に入院中の力道山を、41度の高熱があるにもかかわらず、タンカで会場に運び込み、リング上で試合を行えない旨を告げさせた。ようやく観衆は納得し、試合が1時間遅れて再開された。力道山の代わりには遠藤幸吉がタッグマッチに参加している。
会場から病院にタンカで運ばれることはあっても、病院から会場にタンカで運ばれたのは後にも先にも力道山位のものではないだろうか。
(日本海新聞、昭和31年8月20日付第面、鳥取県立図書館所蔵)
昭和31年8月20日(月曜日)、鳥取県米子市/米子市営湊山球場
試合開始:午後5時30分、観衆:11000人
1)シングルマッチ(15分1本勝負)
田中米太郎(引き分け)宮島富雄
2)シングルマッチ(20分1本勝負)
吉原功(15分2秒、逆エビ固め)大山博
3)シングルマッチ(20分1本勝負)
羅生門綱五郎(17分53秒、体固め)金子武雄
4)シングルマッチ(20分1本勝負)
竹村正明(23分53秒、体固め)阿部修
5)シングルマッチ(30分1本勝負)
豊登道春(12分29秒、逆エビ固め)芳の里淳三
6)シングルマッチ/ノンタイトルマッチ(45分3本勝負) ラッキー・シモノビッチ(2−0)駿河海三津夫 @シモノビッチ(13分3秒、体固め)駿河海 Aシモノビッチ(11分16秒、逆エビ固め)駿河海
※L・シモノビッチはヨーロッパヘビー級王者。
7)タッグマッチ(60分3本勝負) 東富士欽壹&遠藤幸吉(2−1)トム・ライス&アイアン・マイク @ライス(13分40秒、体固め)遠藤 A遠藤(6分15秒、体固め)ライス B東富士(3分46秒、サバ折り)ライス
※「61分3本勝負」と記載されている資料もある。
□場内アナウンスで、力道山光浩が急性肺炎のため休場することが伝えられた。
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